グレーさを寛容できる社会へ
北京冬季オリンピック始まりましたね。スポーツは一人の勝者とその他全員が敗者という勝ち負けがわかりやすい図式で、そこがスポーツの面白いところなんでしょうが、よく言われる勝ち組、負け組という言い方には違和感を覚えます。
ほとんどの人は勝ちでも負けでもない、白でも黒でもないグレーな部分に属していて、勝っても負けてもいないはずなのに、今の社会は無理やりどちらかに属することを強制しているような気がしてなりません。
白黒はっきりの両極端の文化では、どこかの国と国との関係のように、争いやいざこざが絶えません。グレーであることを意識し状況に応じてグレーの濃さかげんを調節しながら、争わないこと。白黒どちらが正しいかでなく、勝敗のない、いい意味での「グレーさ」を寛容できる社会になって欲しいと思います。